正直に生きることが重要ですが、この世界にはどのような人がいるか分かりません。
私の近親者で、子供のころ非常に素直で、可愛い感じの男の子がいました。あまりよい大学には入れなかったのですが、空手では師範の腕前です。健康食品を扱っていたのですが、私の一族も知り合いも彼は詐欺師だと言っていました。彼は家庭的にもうまくゆかず、二人の男の子は妻が親権を得て、離婚しました。
私も長く付き合っていなかったのですが、健康食品をやっているなら手伝ってやろうと思い、連絡を取るようになったところ、しばらくすると、京都の病院を買えという話をもってきました。1億円を出資してほしい、と言うのです。そのとき一緒に来た若者たちも真面目そうな人たちでした。しかし何回か話をすると、まるでおかしいのです。彼は数万円の治療費も出せないのに、残りの数億は自分が集めるなどと言っていました。結局、私はこの男と縁を切って、今はどうしているか知りません。
昔、ある作家が「自分は人間を見れば、嘘つきかどうかすぐに分かる」と書いていましたが、その後、人に騙され「その男は本当に真面目そうで信用できそうだった」と書いています。
私がなぜ騙されなかったかというと、欲がなかったからです。つまり、儲けようという気がなく、この身内の男を助けようと思っていただけだったからです。
自己啓発
【第7回】 正直であることに潜む危険
photo by Ryan McGuire
2018.8.29
From 高田明和
photo by John O Nolan
さて、昔、中国に荘子という人がいました。荘子は紀元前4世紀ころの人で、中国の戦国時代の宋国の蒙(現在の河南省商丘あるいは安徽省蒙城)に生まれた思想家で、道教の始祖の一人とされる人物です。
荘子も老子も同世代で戦国の乱世で生き、その処世術を教えました。
彼は意怠(いたい)という鳥の話をしています。この鳥はこれといって能力がなく、他の鳥に引きずられるように飛び立ち、尻をたたかれるようにしてやっとねぐらに帰ってきます。進む時も先頭に立たず、退く時もしんがりになって、皆を守ろうとしない。餌をとるときも決して先を争わないのです。このために、仲間外れにされることも、危害を加えられることもないという鳥なのです。
荘子はこの鳥の例をあげ、「直木(ちょくぼく)はまず伐られ、甘井(かんせい)はまず竭(つ)く」と述べました。材木にする時に、まっすぐな木から伐られる、井戸はおいしい味のする井戸水がまず飲まれるというのです。
つまり、正直なことが分かると利用されてしまいます。ここに正直さの危険があるのです。
また、菜根譚という書物には無欲が宝だと書かれています。そこに書かれている4つの戒めは、利益は人より先に飛びつくな、善行は人に遅れをとるな、報酬は限度を超えてむさぼるな、修養はできる限りの努力を怠るな、と述べられています。
いくら正直でも目立っては危険です。
人間というのは他人の長所があるとそれを試そうとします。つまり本当かどうかを知ろうとするのです。そのために、正直にできないことを頼んだり、やらせようとするのです。そして、不誠実な態度を示すと、やはりあいつも嘘つきだということになります。一度、このような評判が立つと、もう取り消すのは不可能です。それも目立ったからいけないのです。自分の正直を人に気づかせないようにすることがもっとも大事です。
誰も人間を信じられないような戦乱の世を生き抜いていた人たちの教えを無視してはならないのです。
高田明和(たかだ・あきかず)
浜松医科大学名誉教授/医学博士 |